hiraitakahiro

飢饉ってそんなに昔々のお話なのかな

最近テンションが上がらない困った農家、平井です。

天候もよく野菜もぐんぐん育っているのであれば、そりゃほっといても勝手にテンションは上がりますが、その逆であればテンションはどんどん下がる一方。

そんな時にふと思ったのが、もし多治見市が独立してすべて市内で賄える状態という条件下、市内に農家が私しかおらず今年のように栽培が上手くいかなかった場合にどうなっていたのか?

そう考えるとめちゃくちゃ怖くなってきました。

野菜がなければ肉を食べればよいなんて思うかもしれませんが、肉を作るには1:1ではありません。
牛肉1キロを生産するのにトウモロコシなら11キロ必要です(生活の豊かさと食料の関係)。
ということはお肉も必然的に食べることはできませんので、確実な飢えが待っております。

今は台風だ、異常気象だといっても全国の流通網で全国を補っているので野菜が高くなることはあってもなくなることはなく、飢えも当然ありませんよね。
過去にアイルランドではジャガイモに頼りすぎてしまい、疫病が発生した際に100万~150万人が餓死したといわれておりますし、日本でも江戸四大飢饉にあるとおり天保の大飢饉(1833年~1839年)、特に東北が悲惨だったと記録があります。

これほど安定してご飯を食べらることができるようになったのは戦後からでしょう
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戦後と言えば農薬による事件が目立ったのはありますが、それとは比較できないほどのメリット、食料自給を支えてきました(農薬は必要?)
農薬云々は上のリンクを見てもらいまして、その結果みんなが飢えることなく食事を毎日とることができるのは紛れもない事実。

そういえば農家になる前、祖父に無農薬で野菜を作るんだよ~と伝えたときに言われたのは、
「おれはご飯が食べられるだけで満足だよ。」
と言われたことです。
妻の亡くなった祖父も戦場で靴の底以外は全部食べられるというぐらいの、今では考えられない過酷な状況を生きてきた人たち。
もう一人飢えを知っているなぁと思った人は(私と年齢が変わりませんが)、空腹で横になったまま畳を食ってた人(;´∀`)

農薬を使ってようがなんだろうが何か食べなければ死んでしまいます。
私のやっていることは慣行農業があり、飢えがない前提で成り立っているものなのかもしれません。
実際にすべての農家が有機農家になったとしても、今のレベルで食料を安定して供給することは難しい。
それは慣行農業のように栽培方法が国のレベルでマニュアル化されておらず、農家によってバラバラですので職人芸に近い。

飢饉への対策
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飢饉の原因はジャガイモや米など単一の品種に偏ってしまい、それらを一気に叩かれたというのも原因のひとつ。
そこで有機農業では慣行農法ではやらない輪作(同じエリアで同じものを作らず、いろんな品目を作ること)をすることで病害虫を防いでいます。
一つの品種を作るのではなく、いろんな品種を作るからこそ一気に叩かれることもなく、何かがダメになっても他の野菜で補うことが出来ますよね。
収量が激減したとしても飢饉レベルではなく、ぎりぎりで生き残ることができると思います。

安定して収量を上げるには工場のような外的要因を限りなく排除する必要がありますが、それをしようとしたのが植物工場。
しかしニュースでは倒産という文字をよくみかけます。
商業として利益を確保するには設備投資とランニングコストがかかり過ぎるということですが、無料の太陽光と24時間フル稼働で太陽光も補う必要がある施設とではかかる費用が高くなるのはしょうがない。
レタスや葉物ばかりではなく、もっと高価で珍しい野菜を作れるようになればクリアできると思うのですがどうなんでしょうか。

最後に


そもそも安定させようとすること自体が間違っているとも思わないでもないですが(笑)、それを言っちゃあおしまいですので、下限と上限のぶれ幅を少なくすることを目標に頑張ってます。

極端な考え方かもしれませんが飢えを知っていれば当たり前に食べられる環境があるという幸せを理解できますし、農薬、無農薬なんて枠ではなく食べられることに感じるものを一人ひとりが持っていれば、きっと無駄な廃棄や見栄えだけの食品に対して警鐘を鳴らすことができるはずです(^_^)/