生き方と逝き方

今回は農業と関係ない話。

2016年9月5日16時21分に21年生きた猫(ソフィ)が亡くなりました。

1年半ぐらい前、飼い主である妻の祖母が飼えなくなったので一度は親戚の家で飼われておりましたが、その親戚もある事情で飼えなくなり、可哀想ですが神奈川県から岐阜県の我が家へ引っ越すことに。

先月までは食欲もあり元気いっぱいでしたが、亡くなる3日前ぐらいから急激に体力低下。

トイレの失敗はよくあったのですが、完全にトイレに行くことさえできなくなり部屋は大変なことに、キッチンがお気に入りでしたので…。

我が家に来る前からすでに調子が悪く、尿の量がすごく頻繁におう吐を繰り返す(それでも元気)。

もう高齢だから自然に任せて治療はしなくてよいと言われておりました。

そんなソフィが亡くなる前の数時間は死臭と言ってよいのかわかりませんが、父が亡くなる前と同じ類の臭いがしたのでもうそろそろだなと。

なぜ妻の祖母がソフィを手放したのかというと、家族も自分も当然ソフィもわからなくなってしまったからです。

虚ろな目で管につながれて娘である妻のお義母さん、愛猫であるソフィが亡くなったこともわかりません。

私は2回病院に行ったことがありますが、あれは本当につらい。

もし認知症が奇跡的に改善したとしても、私なら現実に耐えられないと思います。

自然な姿とはなんだろうか


自然:人手を加えない、物のありのままの状態・成行き。

人それぞれいろんな解釈の仕方があると思いますが、私にとっての自然とはご飯を食べたいと思わなくなったときに終わることです。

それを私は祖母(母方)で見ています。

体調が悪くなってから、最後は食欲がなくなりとても穏やかに。

本人の意思で痛み止めだけはしていましたが治療はしませんでしたし、最後までおじいちゃんのことを心配し、すべてを母に託してから逝きました。

死に方にかっこいいなんて言うのは不謹慎だなんて批判されるかもしれませんが、私はかっこいいと思いましたし、堂々と死を真正面から迎えらる人生なんて最高じゃないですか。

そして家族全員に伝えていることがあります。

私が自分の意思を伝えられる状態にないとき、延命だけの生き方を選択しないでほしいということです。

最後に


ペットを飼い始めることは誰でもできますが、最後までしっかり面倒をみることってとても大変。

病気になれば人間みたいに高額医療費制度なんてありません。

治療代は青天井、とんでもない金額になりますので覚悟しておいてください。

そして管につながれたら家族や自分がわからなくなろうが、心臓がその動きを止めるまではずっとベットの上です。

健康な時に、ご家族としっかり死について真剣に話し合うことをオススメいたします。

人間誰でもいつかはお迎えがきますからね。

自然から学ぶ生き方

死ぬ前に後悔をしない生き方